「働く」ことと『エリバ映画祭/11月23日(祝)』

今月1日から参加している神楽坂のビストロ「A point」でのイベント『エリバ映画祭』。
参加者募集を見かけて、「なんかよくわかんないけど、面白そうだし!」と本当に勢いで参加を決めまして。
で、パンフをもらって、作品の搬入は終わって、展示も始まったけど、企画の趣旨が見えてこない。
一応参加者なのに当日までわからないままはイヤだな、と思い、エリバ主催のお二人(池田さんと千葉くららさん)とお話ししてきました。
「エリバ」の主旨を要約すると…
・「働く」ことが手段ではなく目的になっている人が多いのではないか
・目的を見失って「仕事」に意義を持って日々を過ごせていない人の存在
・結果として病気になったり、命を落としてしまう人までいる
・「仕事」とは「企業に属すること」になっていないか
・オートメーション化された商品や娯楽ばかりに囲まれて、人が関わっているということが見えてこない
・「仕事」に使われていられるのは若いうちだけ。年齢と共に自分より若い労働力に取って代わられるのは避けられないから、自分から発信する「シゴト」を見つけていく
・「エリバ」で大手企業が参入できない、小さなニーズを拾うことで形成する経済コミュニティで「シゴト」を発信するきっかけを作ってみたい
・初めは小さくとも、自分に無い能力を得意な人に代行してもらうことで、わらしべ長者的に発展させていくこと
・実践心理学を用いた働き方のアドバイス
・映像を使って考える「職場」のあり方やコミュニケーション
・主催者どちらのものでもなく、互いのものとして、全然関係ない名前を拝借(シゴクリのエリちゃんから)
・「エリバ」は何でも発信できる屋号として存在していきたい
といった感じです。
もっと色んな話を聞いたはずなんだけど、こんな感じだったはず(汗)
ぼくも「仕事」はライフスタイルの一部と思います。
必要とする人がいて、それに応える能力を持った人がいて、その能力と成果を提供する。
受け手は自分で生み出すはずだった手間を省いて時間を得る代わりに対価を支払う。
その対価となる金銭を独占するために集団を作るのではなく、より広く社会に提供できるように「仕事と金銭のバケツリレー」みたいなことが正しい「仕事」なんじゃないかと。
企業に属することで発揮できる能力もあれば、団体の制約から離れたところで発揮する能力もあります。
働き方は人それぞ…
参加者募集を見かけて、「なんかよくわかんないけど、面白そうだし!」と本当に勢いで参加を決めまして。
で、パンフをもらって、作品の搬入は終わって、展示も始まったけど、企画の趣旨が見えてこない。
一応参加者なのに当日までわからないままはイヤだな、と思い、エリバ主催のお二人(池田さんと千葉くららさん)とお話ししてきました。
「エリバ」の主旨を要約すると…
・「働く」ことが手段ではなく目的になっている人が多いのではないか
・目的を見失って「仕事」に意義を持って日々を過ごせていない人の存在
・結果として病気になったり、命を落としてしまう人までいる
・「仕事」とは「企業に属すること」になっていないか
・オートメーション化された商品や娯楽ばかりに囲まれて、人が関わっているということが見えてこない
・「仕事」に使われていられるのは若いうちだけ。年齢と共に自分より若い労働力に取って代わられるのは避けられないから、自分から発信する「シゴト」を見つけていく
・「エリバ」で大手企業が参入できない、小さなニーズを拾うことで形成する経済コミュニティで「シゴト」を発信するきっかけを作ってみたい
・初めは小さくとも、自分に無い能力を得意な人に代行してもらうことで、わらしべ長者的に発展させていくこと
・実践心理学を用いた働き方のアドバイス
・映像を使って考える「職場」のあり方やコミュニケーション
・主催者どちらのものでもなく、互いのものとして、全然関係ない名前を拝借(シゴクリのエリちゃんから)
・「エリバ」は何でも発信できる屋号として存在していきたい
といった感じです。
もっと色んな話を聞いたはずなんだけど、こんな感じだったはず(汗)
ぼくも「仕事」はライフスタイルの一部と思います。
必要とする人がいて、それに応える能力を持った人がいて、その能力と成果を提供する。
受け手は自分で生み出すはずだった手間を省いて時間を得る代わりに対価を支払う。
その対価となる金銭を独占するために集団を作るのではなく、より広く社会に提供できるように「仕事と金銭のバケツリレー」みたいなことが正しい「仕事」なんじゃないかと。
企業に属することで発揮できる能力もあれば、団体の制約から離れたところで発揮する能力もあります。
働き方は人それぞ…